私の個人的かつ非常に大きなテーマが実は「情報発信」だったりします。
コンピュータ関係を生業にしようと専門学校に通い始めたきっかけはそもそも「情報の分析」や「情報発信」に興味を持ったからであり、それからパソコン通信を経て、20年近く前にインターネットというものに興味を持ちました。
ですので、「情報発信」ということについては、実は随分と昔からいろいろと真剣に考えています。
※FBの書き込みを見た方、あれをもう少し掘り下げた感じかと思います。
インターネットに興味を持ったのは、そもそも「情報発信」に興味があったから
という流れからお分かりかも知れませんが、以前は私もやはり「インターネットばんざい」的なスタンスだったので、というか、インターネットに興味を持ったのは「情報発信」というテーマに興味があったからに他ならないのですが・・・
ですので、サイトやブログはもちろん、インターネット上の様々なサービスを試してきたのですが、なんか少し違うなあとずっと思っています。
そして、そういう「少し違うなあ」という思いは、以前よりもインターネットの影響力が強くなっている今、そういう思いもどんどん強くなっています。
「簡単に情報が発信できるようになった」結果、レベルの低いコンテンツが大量に生み出される結果に
インターネットの様々なサービス、それこそ有象無象のように次々とリリースされますが、これらはいずれも「簡単に情報を発信できますよ」「配信したコンテンツに課金ができますよ」という類いのサービスがほとんどです。
もちろん「簡単に発信できる」というのは「敷居を下げる」という意味も含め、とても大事なことです。
しかし、「簡単に発信できる」ようにした結果、「コンテンツとしては非常にレベルの低いもの」が大量に生み出されていることも見逃せません。
ローカルへの情報発信の重要性
「情報発信」というと、全国規模で発信するよりも、最近はローカルへの情報発信の重要性が問われているのではないか?と。
ローカルな情報をローカルに対してピンポイントで発信できるのはなんだかんだ言っても、新聞折り込みが強かったのですが、最近は新聞を取らない世帯が増えてきて(うちもそうですが)、折り込みの力がだいぶ弱くなってきた印象です。そしてその傾向は今後より一層進むでしょう。
その次を担うであろうと言われているメディアとしてフリーペーパーというモノがありますが、これもまた・・・何というか・・
そうなると、ローカルへ情報発信するメディアとしてインターネットが自然と台頭してくる可能性は否めません。
「マスメディア」と「コミュニティメディア」
マスメディアという意味ではテレビというのもいまだに影響力が強いのですが、これもいつまでどういう形で続くのか・・・と。
そうなった時に何がいいのかなあ・・・とずっと考えていて、そういうこともあって情報発信向きの媒体としてのコミュニティFMやイベントなどに関わってみたのですが、これはこれでまたちょっと・・・あまり書けませんが・・・「情報発信」以前にいろいろとありまして。
個人的には「マス」的なメディアだけではなく、もっと小さい「コミュニティ」的なメディアが情報発信をしていく形が理想なのですが、そうなると配信されるものの品質が大切になってくるのではないか?と思っています。
発信する媒体の使い分け。発信する側も受け取る側も必要かも
また、発信する情報の内容や分類、それに受け取るべき人によって発信する媒体を変えていく、という「使い分け」はこれからより一層必要になっていくと思います。
それ以外に常々思っているのは、発信する媒体によって文章の書き方や表現を変えていく必要がある、ということです。
このことは説明してもなかなか理解してくれる人が少ない上に、実践が非常に難しいので、あまり人に話すこともないのですが、これからは理解されるされない、実践されるされないに関わらず、こういうことも言っていかなければいけないのではないか?と思っています。
最後はリテラシー教育に依存せざるを得ない、というのが当面の結論になるのか
やはり、最終的にはメディアをやる側の「誠意」と「テクニック」、情報を受け取る側の「リテラリー」的なものに依存していく必要があるのかな、という非常に曖昧な言葉に収まってしまいそうなのがアレですが、でも何となくそういう結論しか今のところ出せないのかなあ、と。
そうなるとやはり私がいろいろな人たちに10数年前から話している「情報リテラシーやメディアリテラシー教育」ということに真剣に取り組まなければいけないのではないかな、と。
最近の様々なニュースやインターネットでの取り上げ方、マスコミの動向などを見ていて、そう思う今日この頃です。
まだテレビに出まくる直前くらいの池上彰さんが書いたメディアリテラシーの本。
結構勉強になる本です。