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日本のWebは「残念」・・・なの?

日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く
さんざん盛り上がったのは少し前のことだが、今まで整理が付かなかったので書かなかった。
とりあえず思うことを書いてみたい。かなり長文になるだろうし、考えがいまいち整理されてないので、結構きつい感じになるかもしれない。その辺りはご容赦下さい。
いろんな人がいろんな事を言っているが、一つ気になるのは、Webを非常に高尚なものと捉えている人が多いのではないか?もしくは高尚なものにしたいと思っている人が多いのではないか?という事。
例えば、このブログには「diggが愚衆化している」事を「問題」と書いている。そもそも愚衆という言葉が存在するのか?は置いといて、diggで起きている現象を愚衆と表現するのはどうかと思う(もちろん著者もそう書いているわけだが、その後の記述を読む限り、そう思っているとしか考えられない)。
一般の人がたくさん利用するようになれば、こういう人たちが望んでいるような「知的な情報」以外の情報もたくさん流れ込んでくる。そうやって「マス」のパワーを受け入れられるようになって初めて「サービス成功への第一ステップは達成」したと言えるのではないか?

それを衆愚化と呼ぶかどうかは議論がありますが、投票や視聴率、ページビューランキングのような、数の多数決に依存する限り、いわゆる知的なテーマよりもマスにアピールするネタの方が勝つのはある意味当たり前。
 スパムの問題も入ってくるでしょうし、日本から見ているほどdiggも完璧なシステムではなかったということなのかもしれません。

マスにアピールするネタが勝つ、という状況を「完璧なシステムではなかった」と言ってしまうこと自体が既に勘違いされているのではないか。
マスにアピールするネタを受け入れられる状況になった、ということは、システムがそれだけ成熟した上に認知されている、という事に他ならない。ここから先のスパム問題などは、いたちごっこなので運用しつつ解決していくしかないことはこの手のサービスを運営したことがあれば当たり前に理解していることで、ここを捕まえて「完璧なシステムではなかった」というのも少々お門違いな話。
Webはそんな高尚なものではないし、そもそもこの手のものが発展するには必ず人間の「本質」に訴えかけるものが何か必要になる。それがいわゆる「アダルトコンテンツ」であったり、彼らが言うところの「愚衆化が進む」という事。
実生活では、なかなか「知的なものに触れることが出来ない」ような状況にあった。
ところがインターネットというものの出現は、誰でも比較的容易に知的なものに触れる状況を作り上げてくれた。元々インターネットというものが学術研究目的で作られたということもあり、また、トップクラスのコンピュータ技術者が多数、様々なソフトウェアやシステムの開発にほぼボランティア的に関わってくれた。そういう中ではやはり知的な情報が多数流れるであろうし、そういうものを求める人がこぞって参加するようになる。
そして、そういうものはいわゆる「ネットに詳しい人たちがほぼ独占的に触れることが出来た」。そういう場所では知的な話題が多く流れ、知的な議論がなされ、自分も知的な人間になったような気分になれる。それを満喫していたのが梅田氏やその周辺の人々であろう。
しかし、Webの「一般化」が進むにつれ、日本人の多くがブログを書くようになり、2ちゃんねるには有用無用問わず様々な書き込みがなされ、ネット発の様々な犯罪が発生し、彼らが今まで満喫してきた「知的な世界」が壊されつつある。それを彼らが「愚衆化」と呼んでみたり、「残念」と言っている、ただそれだけではないだろうか。
そして、彼らが今現在「いい!」と叫んでいる様々なサービス、例えばtwitterやtumblr.(tumblrは少々色が変わりつつあるが)、Pokenなどについても同じような流れになるのではないだろうか。「ネットに詳しい人たちが主に呟いている」状態であり、最近は少しずつ有名人がtwitterで「呟き始めた」。この状態で「ハイソサエティ」「ハイブロウ」な議論がなされる、それが彼らにとっては心地いいのだろう。
しかし、そこに「ハイソ」でもなければ「ハイブロウ」でもない人たちが集まり出し、彼らの「領域」を荒らし始めたら、きっと「愚衆化が進んできた」と言うだろう。
梅田氏は件のインタビューでこう言っている。

日本のサブカルチャー領域でのWeb文化の隆盛は十分に分かっていて、敬意を表しています。だから、今さらそういう事例について議論しても、日本のWeb文化が特に変化したとは思えないんだよね。
 ただ、素晴らしい能力の増幅器たるネットが、サブカルチャー領域以外ではほとんど使わない、“上の人”が隠れて表に出てこない、という日本の現実に対して残念だという思いはあります。そういうところは英語圏との違いがものすごく大きく、僕の目にはそこがクローズアップされて見えてしまうんです。

これ、本当かな?と思ってしまう。私には英語圏の方がサブカルチャー領域は広く深いように思えるのだが、どうだろう。
梅田氏が英語圏では彼が言うところの「上の人」の情報しか見てないからではないか?
日本ではマスコミの影響もあり、どちらかといえばサブカルチャー要素が強調されているだけであり、違う言い方をすれば、梅田氏が上記のように思うのなら、自らが旗振りして「上の人」を引っ張り出してくればいいだけの話ではなかろうか。マスコミを抑え込んで、そういう「ハイソ」で「ハイブロウ」なWebの情報をどんどんメディアに流せばいいだけではないか。
そう思った人が動けば、意外と何とかなったりするのがWebの世界である。その可能性を梅田氏が「信じている」のであれば、自分が動けばいい。そろそろ本当に「中の人」になればいい。
私はWebの世界はもっと「愚衆化」が進めばいいと思っている。サブカルチャーの部分がどんどん進めばいい。
新たな文化は結局サブカルチャーであったり、アンダーグラウンドな世界からしか生まれない。徹底的に愚衆化が進めば、そこから新たな何かが生まれるだろう。
その過程として、日本のWebが「残念」な状況になるなら全く問題ないと思うのは私だけだろうか。
もっともっと愚衆化が進んで残念な状況になれば、そこから自浄作用も生まれてくるだろうし、新しいメディアの形が見えてくるのではないか。

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